寸又峡とSL 62020/11/20 15:30

大井川の印象は川幅が広く、川底は平坦で水量は少ない。平坦な川底にはほとんどの場所に川砂と川砂利が大量に蓄積されている。      半世紀前の学生時代に夏のアルバイトで富士川の上流で8トンダンプを河原で運転する事があった。      父が砂利トラを数台持って砂や砂利の建設骨材を運搬する商売をしていた。    富士川の採取場所には西武建設の看板と砂利と砂の製造工場が有った。         工場から数キロ上流から簡易に作られた河原の中の道路を、ショベルカーですくってダンプカーに載せた土砂を工場まで運ぶ運転士のアルバイトだ。       当時は河川敷は無免許でも大型を運転できた。    この現場では大井川より砂利が少なく感じた。      セメントの骨材には細かい丸い石が理想のようだが、  多くはないので、工場では、土砂を選別し、洗浄し、砂と石に分け石は更に粉砕して骨材に適した大きさにする。 写真はSLに乗った日が雨で見にくいが、広い河原に居るショベルカーだ。

寸又峡とSL 72020/11/20 16:00

千頭から寸又峡の宿までは土砂降りと狭い曲がりくねった山岳道路を小一時間走って、やっと着いたという印象だ。  間違えれば谷底に転落しかねない場所だ。  おまけに狭いから対向車が来たら、どちらかが譲らなければならない。       大昔の金嬉老事件の現場だ。   到着したときは暗かったので周囲がよくわからなかった。       とにかく秘境だ。

寸又峡とSL 82020/11/20 17:10

夕食は18時半から食堂で頂いた。  伊豆とは違い刺身類は無し。    しゃぶしゃぶがメインということだ。      料理の内容は普通だ。 特筆するものは無い。     サービスをしていた女性はインド人風の風貌で他にも何人も見かけた。     以前も西伊豆でもインド人のサービス係を見た。      最近多いんだろうか。  日本語は大体できる。     国民性だろうかおとなしい印象を受ける。  笑顔も多くはない。

寸又峡とSL 92020/11/21 10:16

翌日は朝から晴れた。  しかし、寸又峡の旅館の有る場所が谷底のような場所なので、起きたときは日差しが山の上にしか見えず、かなり後に陽光が差してきた。     旅館の目の前が寸又峡の「夢の吊り橋」と言う怖い吊橋への起点であり、駐車場でも有るので早朝から車の列が見えた。    そして多くの人や犬連れの人が多く見られた。   2,3㎞の距離のようだが、行く気はなかった。       10時に出発した。

寸又峡とSL 102020/11/21 11:32

昨日と反対に、千頭駅に向かった。   昨日は日没後の17時ころ着いたので、周囲はよく見えなかった。  朝から車が多い。道路は狭い部分が多いので路線バスのようなものは無いのかもしれない。  昨夜は、暗い中を走ってきたが、車が多い朝の休日なので、谷間から抜け出るまで4,5箇所に係員が立ち、片側通行していた。    写真は寸又峡の駐車場に向かう車列である。  ここは幅員が大きいが、車の交換ができない箇所は片側交互通行になっていた。

寸又峡とSL 112020/11/21 12:41

千頭駅付近まで戻り、そこからは金谷方面ではなく、日本平を目指した。   再び狭い山岳道路を登り、最高標高は900メートル近くに達した。   写真は峠の休憩所。    遠くに富士の山頂が見えた。

寸又峡とSL 122020/11/21 13:50

日本平は家内とは二度目。はじめはかなり昔で、動物園によった記憶がある。どこか関西への旅行の帰りかもしれない。  ここで昼食を取った。 後は、東名高速を使わず国道1号線バイパスで沼津へ。    二日間運転してくれた恒貴をおろして伊東へ帰った。