旧友 五十嵐 逝く。2019/01/08 13:24

明大時代の親しい友人の五十嵐君が すでに旅立ったと知った。        今年の年賀状が年末のうちに「宛名の住所が不明」と返送されてきた。 これは、私の住所の書き間違いと後でわかったが。      本日、彼の携帯に電話したが、全く反応なく、切れる。 とっくの昔に無効になっていたからだ。 固定電話にかけたら奥さんが出た。    彼女とも数回会っている。   彼女もかなりの美形で、美男美女のカップルだ。  聞くところでは、2016年7月29日の日付が変わった頃亡くなった由。     2015年の3月に肺がんの告知を受けて、聖路加病院に掛かっていたが、本人の意志で手術をすることなく、息を引き取ったそうだ。         2015年の4月上旬に、彼からの連絡があり、「死ぬ前に塚原さんに会いたい」と言う理由で、逢いましょうと連絡があり、会っていた。         彼は明大英文科の特待生で頭脳は優秀だった。   同じ学生寮で1年間は同じ屋根の下で暮らした。     笑わなければ、布施明並みの美男子だった。    なかなか個性的な男だった。  私が1学年上で、年齢も一歳違いだ。卒業後は年賀状の繋がりだったと思うが、何回か会っている。       2015年10月末に彼は新潟の実家の行き、寒い戸外でなにか家の片付けなどをして、新幹線で、帰宅したが、それ以降体力が低下したとのこと。2016年3月以降、寝たり起きたりになり、7月にはかなり体力が衰えた由。          6月14日に入院、7月に入ると更に、体力が落ち、それでも最後まで、執筆した英文の出版物の自費出版に固執していたそうだ。            彼は、予備校の教師のあと短大や女子大の教授を務めていたが、傍らで、自分で研究している英文学の研究論文を書いていた。         「白鯨」の作者のメルビルに関する研究が最後に聞いた研究だった。   この自費出版の本は数年前に頂いている。      最後の英文の執筆に関しては聞いていない。           奥さんが尽力して、彼の最後の願いを聞いて、自費出版に漕ぎ着けたそうだ。       しかし、その出版の日程が決まった朗報を伝える前日に旅立ったそうだ。  墓は自宅のある新潟に有り、彼の父がなくなった際に母親と共同で建立した由。  更に昨年母親が96歳で亡くなった。 彼には妹が一人いて、田舎で家庭を持っているそうだ。  母親はかなり前から、彼が施設に入れて、なくなるまでそこで過ごしたそうだ。                  お位牌は、奥さんのところに有るそうで、  今月下旬に、姉の亀田家の法事で都内経由で外房に出かけるので、行きに寄せてもらうことにした。