雇用継続は無し! ① ― 2017/10/23 09:00
来年の4月10日で小生は満70歳になる。 その後の勤務について、今春、川久保と舞浜の木村部長代理から、勤務を減らすとかの、雇用見直しを含め考えなければならないと通告を受けていた。 その話が半年後の10月23日、木村部長代理と川久保が来館し、部長代理の口から、多少は働きたいと春に伝えたことに回答する形で、「ご要望には答えられない事になりました」と言われた。 まず、法的な権利に関しては継続して働くことは出来る。 一方的に解雇は出来ないと言うことはお互いにわかっている。 また来春の4月には、非正規雇用の労働者の単年度契約の、変更が出来るようになった。 勤続5年を超えた者は申し出によって、単年度契約から複数年契約に変えることが出来るように法改正が有り、4月に施工される。 振り返ると、41歳の暮に小嵐亭の初代の総支配人の浦田さんから、見ず知らずの私に電話が有り、当亭に来てくれないかと、勧誘が有った。 当時は西熱海ホテルで、新規フロントシステムの導入を軌道に乗せるために奮闘していて、会社に不満が有り、勧誘条件はかなり好条件だったので、行きたかったが、とても辞められる状況ではなく、お断りした。 システムは今と違って、ホテル固有にカスタマイズしながらSEが作り上げるので、時間も掛かったし、オフコンの性能も悪く、難しかった。曲がりなりにも軌道に乗り、私はその春、宿泊担当支配人を命じられた。 フロントマネージャーは今まで自分の下に居た者が昇格した。 肩の荷が降りたときに、再度小嵐亭の総支配人から勧誘が有った。 応じる決意をした。
雇用継続は無し! ② ― 2017/10/23 09:10
42歳の夏7月23日から、小嵐亭に勤務した。 同じ熱海市内なので通勤条件は全く同じ。 25室の割烹旅館であることが大きな違いで有った。 最初の立場は営業課長、ただし半年間は課長代理扱いだとのこと。 その半年後に、課長には昇格する約束が守られないまま、副支配人に。 勤務から1年後、勧誘してくれた総支配人が、会社の内紛絡みで、不動産部門に転出してしまった。 後任の総支配人はその後何人も変わった。 私は入社から1年後に支配人になった。 館内のまとめと、営業全般の見ることになった。 何人目かの総支配人と折が合わず、一度反論したら、人事権の行使という手に相手は出た。 熱海に勤務の約束で入社したが、舞浜の「東京ベイホテル東急」に転勤が決まった。 無論、怒りも有ったし、心配も有ったが、家族のことを考えれば、行くしかなかった。 その総支配人は外部から招聘した、管理職の一人で、 多方面から嫌われていた。 当時の第一不動産㈱の常務でも有り、反対は無かったのだろう。 3年半の勤務の後、46歳になる正月に舞浜に転勤した。 会社が用意したワンルームマンション住まいである。
雇用継続は無し! ③ ― 2017/10/23 09:20
舞浜では何をやらされるか不安で有ったが、当時の業務委託先の㈱東急ホテルチェーンは流石に大手で、決まったルールで動く大人の会社であった。 7年間ロビーマネージャーを勤務、コンシェルジュとも言われる仕事だ。最初から管理職の一員になれた。 次いで仕入れマネージャーを2年。2年で終わったのは、総支配人から「環境ISOを取得したいので責任者をやってくれないか。」とのこと、当時51歳で引き受けて、1年後に取得。 以降約7年ほどISOマネージャーを勤務、そして、数年前から係争してきた第一不動産と東急ホテルズの受託委託契約の争いが最高裁で結審し、第一不動産の敗北が決まった。 1年ほどして東急側から撤退申し出が有り、経営が変わった。名称は「東京ベイホテル東急」から「東京ベイ舞浜ホテルクラブリゾート」に変わった。 この時点でISO認証継続は辞めることになり、WEBで告知した。 ISOマネージャーのときに満60歳の定年を迎えた。 それから4年間の法に基づく雇用延長の制度を利用した。 64歳で退職を迎えるはずだったが、会社では小嵐亭に転勤してくれと言う。 有難く転勤した。
雇用継続は無し! ④ ― 2017/10/23 09:30
満60歳をすぎた時点で、正社員から嘱託社員になり賞与は無くたった。 64歳過ぎは契約社員になった。 それでも、かなりの給与をもらえて居たので満65歳までは在職老齢年金は支給停止が続き、65歳で初めて支給開始となった。 再度、小嵐亭に勤務してから、来春で5年半になる。 したがって、私のサラリーマン人生は、大卒直後の建築会社の2年、伊豆箱根鉄道グループの17年半、第一グループの27年半、計47年になる。 運が良かった事も悪かったことも両方だが、ここまで失職することが一度も無かったことは、幸運と言えよう。 今後は、年金だけになると、今までの43%くらいに減ってしまう収入で、どうするかと言うことだ。 愛するキミとの付き合いも間もなく11年が経過する。 なんとか一緒に暮らしたいし、細々とでも、心配なく暮らしたい。 家のローンは終わっているし、食べるだけだが、70歳で年金支給額の見直しが有るが、5年間の勤務分の増額は僅かであろう。 年金だけでは辛い。 それが今の心配だ。
再び右肩が痛い ― 2017/10/23 23:07
かなり前に四十肩か五十肩が不明だが、肩が痛くて困った時期がかなり続いて、最近は殆ど感じなくなっていたが、 ここに来て2,3日前からまた始まった。 過去のBLOGを見ると昨年の2016年10月に肩の痛みが続いていると記載があり、更にその2年前に痛みが続いて整形外科を訪ねたと記している。 思い出したが。その時の医師は治療法は無いという説明だった。湿布を寄越すだけだった。 それで昨年は医者には行かず、湿布を買って凌いだ記憶がある。 原因が炎症だとWEBに有るので炎症を抑えるしか無いと言うことかもしれない。 左肩には伝染して居ないが、右肩を45度位上に上げるのが痛い。真上は痛くない。 朝のドライヤー、 仕事で右腕を伸ばして朱肉に印を押し付けるときなどが痛い。布団をたたむときに両端を掴んで上に伸ばす作業が出来ない。
10月の旅 ① ― 2017/10/25 09:00
10月の旅行は再び伊豆半島。 稲取温泉の赤尾ホテルを選んだ。 昔からあるホテルで。かつては名門であったが如何に。 DTravel経由で申し込んだ。 稲取温泉は、古くから有るようだ。国道から見ると、まるで稲取温泉一帯が海に飛び出た半島のように見えるが、そう言う呼称は無いようだ。 その半島のような場所の少し小高い丘の上に有る。 ほとんど部屋がオーシャンフロントである。 到着した日は雲が多く、スッキリしなかった。 部屋には、檜か檜葉の半露天風呂と、陶製の風呂と2箇所備えていた。 部屋そのものはそれほど大きくはない。 BED形式であるが、簡易BEDと言えるマットレスだけのBEDという感じである。 食事は夕朝食とも食堂でのバイキング形式。 種類は割りと多く、内容は良い方だ。 不幸にも夕食時には到着後に午睡したときにお腹を冷やした様で、下腹がかなり痛くなり、トイレに頻繁に行かねばならず、食事を楽しめる状態ではなく、少しだけで我慢した。
10月の旅 ② ― 2017/10/25 09:10
到着後は早速木の風呂に入った。温泉掛け流しで、何時も出ている。温度は丁度良かった。 時間を決めて温泉が止まる時間帯が有る。元の機械の調整の為であろう。 その後陶製の風呂もチャレンジしたが、どういう訳かこちらは最初は空なので湯を張ってみたが、ぬるくて入れなかった。 この日は台風の影響で到着日は風が強く、男女別の大浴場が有り、途中で、男女入れ替えが有る。 両方共大浴場プラス露天風呂だそうだが、屋上の露天は営業中止、1階は営業していると言うことで有った。 この他に貸し切り風呂が4箇所ほど有り、行って見て開いている風呂に入って、鍵を掛けて、45分以内に出ると言う約束だ。 夕食後しばらくしてから 「貴婦人の風呂」と言う名の貸し切り風呂に入った。 熱海の大野屋のローマ風呂を連想させる。 湯船の中央に噴水型の石作りの円柱が有り、邪魔な事この上ない。 かなり熱めで有るが埋める手段が無かった。 1基だけのシャワーのホースを伸ばそうとしたが届かなかった。 他の貸し切り風呂は見ることはなかった。
最近のコメント