親友の生還2020/07/09 16:56

昨年の7月に膵臓がんの宣告を受けていた友人から、連絡が有った。     8日にLINE電話の着信履歴が有った事が翌日気がついた。    相手が親友からだったが、もしかして彼のスマホを使って奥さんが連絡をよこしたのかと思った。    なにせ、昨年7月初めに膵臓癌の宣告を受け、ステージ3で手術不可、余命半年から1年と宣告を受けたと本人からLINEが有ったのが、10月の下旬だった。すでに宣告から3ヶ月以上経過していた。              驚いて、すぐにでも会いに行きたいと申し出たが、治療で会う事ができないと、再三断られた。    ひたすら待つ事にした。    宣告から半年が過ぎても、その後も全く連絡がない。      最悪の事態に陥っているのかもしれないと、家内と何度も話していた。   もう一人の大学の友人にも知らせた。    「今度連絡があるなら、奥さんからかもしれない」と話し合った。       その親友のスマホからのLINE電話であった。       躊躇したが電話した。  なんと彼の元気な声が聞こえてきた。   奇跡が起きたのかもしれない。   暫く話す事ができたので、かなり回復しているようだ。         経緯は、奥さんが調べて、治療を受けていた千葉大ではなく、名古屋大学に、かなり進んだ癌でも手術をしてくれる先生がいると分かり、紹介を依頼したようだ。    その後の事実経過は良くわからないが、抗がん剤の効果で少し症状が緩和したのか、今年の4月初めに千葉大で10時間に及ぶ手術を受けて、暫く入院をし、自宅の戻れたそうだ。  幾つもの臓器を切除したとの事。  抗がん剤で体毛はほとんど鼻毛まで無くなったそうだ。    体重も75kgから50kg以下にまで減り、今は50kg台に少しだけ増えたそうだ。   しかし、良かった。

痛い出費2019/11/18 15:33

つい10日ほど前から、話題が下の話になるが、便秘状態になった。 11年前の直腸癌の手術後、排泄が元の様にはスムースにはならなかった。医師からは「元には戻りませんよ」と言われていたが。              その延長かと思われるが時々、不都合な状態になる。    多分3日以上通じが無くて、大変な思いをして排泄した。その直後に、リフォームしたばかりのトイレが流れなく成った。    あれこれ試したが、奏功せず、専門業者を呼んだ。     この手の業者は全国展開しているかの様な表現をWEB上でしているが、殆どの業者は、実際に現場に行く人は数多くいないから、横のつながりが有り、互いに融通しているようだ。確かに、全くの人員派遣であるから、人での少ないこの時期に、当然かも知れない。      1年半前にリフォームした新しいトイレボールで有るが、最近のは節水型で水量が少なく、それも詰まる原因に有る様だ。   従来型の1/3位の水量の様だ。            手作業でパイプに圧を掛ける方法では解決せず、高圧空気を発射する方法で、開通した。     浄化槽周りの配管を見てくれたが、そちらは異常なく、便器周辺しか原因はない様だとの事で実施した。           それでもま解決しないと便器の分解掃除になる。      圧縮空気装置使用量が18K、派遣料金が3K作業料が4K、合計約24Kと成ったが、致し方ない。       二世帯住宅でトイレが2箇所有るので、不便することはなかったが。

後方未確認2019/10/28 10:27

天気の良い日で、気晴らしに海を見に行こうと家内と伊東漁港の防波堤に腰掛けて海を見ようと思った。  駐車する際、うっかり、右のバックミラーしか見ていなくて、バックモニターに写っていたにも関わらず、鉄製の電柱に後ろをぶつけた。  速度は低かったが、みっともなく凹んだ。         運良く樹脂製のバンパーだけのダメージで、車体車の保険しか入っていないし、金額も少なかろうと、近くの板金屋に寄って部品の交換の値段を調べて貰った。          数時間後連絡が有り、47,000円で半日で終わる、代車も出すというので、部品の取り寄せを依頼した。          9年前に新車で買った時に、セールスマンがこの樹脂製のバンパーは前後とも10万円はします、と言っていたのだが、値下がりしたのかもしれない。

驚きのニュース 22019/10/22 15:45

開業から約30年で旧経営陣のホテルは幕を閉じる。  今後は「グランドニッコー東京べい舞浜」として運営される。     問題は従業員の雇用問題。   LINEによると第一グループの残り2軒のホテルや近隣のホテル、継続経営するホテルなどに斡旋を勧めるそうだが、年令によっては厳しい人たちが居そうだ。   開業時に新卒で(主に専門学校卒)入社年した社員も50歳前後で厳しいだろう。  私が勤務したのは平成6年から約18年半程。  同じ法人の熱海の割烹旅館に戻って更に5年半勤務した。  最初の熱海の小嵐亭の勤務の3年半を加えると27年半もこの会社に勤務したことになる。       小嵐亭も同じ法人の事業所で有ったが、赤字体質であったから、2つの事業所を持っていた「㈱東京ベイホテルズ」はどうするのか、小嵐亭はどうなるのかは、まだ情報がない。

驚きのニュース 12019/10/22 15:20

久しぶりに、かつて在籍していた舞浜の「東京ベイ舞浜ホテルクラブリゾート」のN氏からLINEが来た。   暫く、旧職場とは(退職以降1年8ヶ月)全く連絡を取らなかったので、そのごの状況を聞いた。           すると驚いたことに、当ホテルは2020年4月末で現法人の事業廃止が決定してしまったとのこと。                       決定したのは7月19日と、通知分の写しを写メで送ってきた文面に有った。                  要点は、2013年年5月にホテルのオーナーである「ヒューリックホテルマネージメント㈱」との間でホテルの賃貸借契約を7年間で締結した。 2020年以降の更新をオーナー側と進めたが、経営方針に不信感を持たれ、役員総入れ替えなどを講じたが、更新に応じてもらえず、今期の契約満了を持って、解約となった。                      そもそも、  このホテルは元々は第一不動産グループが、平成2年(1990年)に500億円近くかけて土地を取得しホテルを建設し、㈱東急ホテルズに経営を委託してきた。   経営委託契約は20年で有ったが、早期契約解除を申し入れた第一不動産に対して、契約を盾に拒否し、最高裁まで争い、第一側が敗訴した。しかし東急側は嫌気が差したか、2年ほど早く撤退した。    その数年前に第一側は、不動産を証券化し、売却して、確か「舞浜エリートパートナーズ」とか言う会社から賃貸で借りていたように聞いたことが有る。  to be continued

坐骨神経2019/09/16 11:00

過去にも有ったが、また発症した。最初の発症は多分64歳で熱海の小嵐亭に戻って働き始めて暫くしてからだと思う。   きっかけは覚えていないが、多分今回と同じで、気がつくとお尻と足が痛みだして、歩くだけで激痛が走る。 今までに3回位有ったが、ここ2年位なかったので、仕事を辞めたのが奏功しているかなと思っていたが、そうではなかった。間隔は長くなったが。       今回も、ある日、お尻が少し吊ったような軽い痛みを覚えた。   来たかな? と思いストレッチなどを試みたが、数日で症状が出てきた。最初はなんとか我慢していれば軽くなるかもと、根拠のない予想をしたが、全く意味はなかった。     過去に発症した時に整形外科と接骨院に通った。   整形では、背中の筋肉の硬化により神経が圧迫されて、下半身の痛みが発生すると言われた。 整形外科では湿布を寄越すだけで、一向に良くならなかった。   接骨院も同じ意見だ。  しかし、病名は言われなかった。  今回、坐骨神経だと初めて接骨院から聞いた。        NETで調べると症状は一致している。   下半身の左右のどちらかに発症すると有った。   全くそのとおりで、私も左のお尻のてっぺんと左足の脹ら脛が痛む。      発症のたびに、毎日接骨院に通い、電気マッサージ、腰椎の牽引、背中のローラー式マッサージ、 直接手に取るマッサージなど4,5種類の施術を2週間から3週間続けて治る。

旧友 五十嵐 逝く。2019/01/08 13:24

明大時代の親しい友人の五十嵐君が すでに旅立ったと知った。        今年の年賀状が年末のうちに「宛名の住所が不明」と返送されてきた。 これは、私の住所の書き間違いと後でわかったが。      本日、彼の携帯に電話したが、全く反応なく、切れる。 とっくの昔に無効になっていたからだ。 固定電話にかけたら奥さんが出た。    彼女とも数回会っている。   彼女もかなりの美形で、美男美女のカップルだ。  聞くところでは、2016年7月29日の日付が変わった頃亡くなった由。     2015年の3月に肺がんの告知を受けて、聖路加病院に掛かっていたが、本人の意志で手術をすることなく、息を引き取ったそうだ。         2015年の4月上旬に、彼からの連絡があり、「死ぬ前に塚原さんに会いたい」と言う理由で、逢いましょうと連絡があり、会っていた。         彼は明大英文科の特待生で頭脳は優秀だった。   同じ学生寮で1年間は同じ屋根の下で暮らした。     笑わなければ、布施明並みの美男子だった。    なかなか個性的な男だった。  私が1学年上で、年齢も一歳違いだ。卒業後は年賀状の繋がりだったと思うが、何回か会っている。       2015年10月末に彼は新潟の実家の行き、寒い戸外でなにか家の片付けなどをして、新幹線で、帰宅したが、それ以降体力が低下したとのこと。2016年3月以降、寝たり起きたりになり、7月にはかなり体力が衰えた由。          6月14日に入院、7月に入ると更に、体力が落ち、それでも最後まで、執筆した英文の出版物の自費出版に固執していたそうだ。            彼は、予備校の教師のあと短大や女子大の教授を務めていたが、傍らで、自分で研究している英文学の研究論文を書いていた。         「白鯨」の作者のメルビルに関する研究が最後に聞いた研究だった。   この自費出版の本は数年前に頂いている。      最後の英文の執筆に関しては聞いていない。           奥さんが尽力して、彼の最後の願いを聞いて、自費出版に漕ぎ着けたそうだ。       しかし、その出版の日程が決まった朗報を伝える前日に旅立ったそうだ。  墓は自宅のある新潟に有り、彼の父がなくなった際に母親と共同で建立した由。  更に昨年母親が96歳で亡くなった。 彼には妹が一人いて、田舎で家庭を持っているそうだ。  母親はかなり前から、彼が施設に入れて、なくなるまでそこで過ごしたそうだ。                  お位牌は、奥さんのところに有るそうで、  今月下旬に、姉の亀田家の法事で都内経由で外房に出かけるので、行きに寄せてもらうことにした。

シビックを初めて見た。2018/01/10 08:00

2017年10月23日に発売されたシビックだが、それ以来ディーラーの展示車以外は全く見ることがなかった。 2ヶ月以上全く見なかった。 1月10日の朝8時半過ぎに、西浦の海岸側の裏道を、逆方向に走ってくる黒のハッチバックを発見した。  展示車は見ているが、走っているのとは印象が違う。意外と大きく見えた。最初はマークXかと思った。後ろ姿は格好良かった。  しかし、こんなことが有るんだろうか。発売日にはかなりの数を生産していて、受注次第、各ディーラーに運ぶんじゃないだろうか。CIVICの場合は、まるで受注を受けてから生産開始したかの様だ。詳しくは分からないが、12,000台の受注が2週間位で有ったと聞くが、こんなものだろうか?    生産能力は月間2000台と発表されている。  12,000台の内訳はハッチバックが50%、セダンとタイプRが25%ずつと聞いた。セダンは国内で、ほかは英国で生産される。   それで遅いのか。アメリカでは1年早く発売されて、1年間で36万台売れて、アメリカ版カーオブザイヤーになったと言う記事まで有った。  さっぱりわからない。

再び右肩が痛い2017/10/23 23:07

9月29日CIVIC発売開始日のHONDAで
かなり前に四十肩か五十肩が不明だが、肩が痛くて困った時期がかなり続いて、最近は殆ど感じなくなっていたが、 ここに来て2,3日前からまた始まった。      過去のBLOGを見ると昨年の2016年10月に肩の痛みが続いていると記載があり、更にその2年前に痛みが続いて整形外科を訪ねたと記している。           思い出したが。その時の医師は治療法は無いという説明だった。湿布を寄越すだけだった。          それで昨年は医者には行かず、湿布を買って凌いだ記憶がある。     原因が炎症だとWEBに有るので炎症を抑えるしか無いと言うことかもしれない。                        左肩には伝染して居ないが、右肩を45度位上に上げるのが痛い。真上は痛くない。      朝のドライヤー、 仕事で右腕を伸ばして朱肉に印を押し付けるときなどが痛い。布団をたたむときに両端を掴んで上に伸ばす作業が出来ない。

雇用継続は無し! ④2017/10/23 09:30

満60歳をすぎた時点で、正社員から嘱託社員になり賞与は無くたった。     64歳過ぎは契約社員になった。  それでも、かなりの給与をもらえて居たので満65歳までは在職老齢年金は支給停止が続き、65歳で初めて支給開始となった。  再度、小嵐亭に勤務してから、来春で5年半になる。   したがって、私のサラリーマン人生は、大卒直後の建築会社の2年、伊豆箱根鉄道グループの17年半、第一グループの27年半、計47年になる。      運が良かった事も悪かったことも両方だが、ここまで失職することが一度も無かったことは、幸運と言えよう。             今後は、年金だけになると、今までの43%くらいに減ってしまう収入で、どうするかと言うことだ。           愛するキミとの付き合いも間もなく11年が経過する。    なんとか一緒に暮らしたいし、細々とでも、心配なく暮らしたい。   家のローンは終わっているし、食べるだけだが、70歳で年金支給額の見直しが有るが、5年間の勤務分の増額は僅かであろう。  年金だけでは辛い。    それが今の心配だ。